マネージャー観戦記

2000年夏の甲子園福井県予選準決勝<敦賀気比-若狭>
現巨人軍の内海投手(敦賀気比-東京ガス)高校野球最後の夏

 シドニーオリンピックを目前に控えながらも日本列島では、七月下旬の猛暑の中で全国高校野球選手権の予選も各地区でいよいよ大詰めを迎えていました。
 まだ魔球塾の構想など主宰の頭の片隅にもなく、(いや、やはりあったのかも?あの方の発想力は人並みを遥かに超えるから・・・)今にして思えば私の方がまだ野球に対する関心は高かったように思います。
 そんな中でこの2000年の夏は北陸の高校野球史上屈指の大型チーム敦賀気比に私は注目していました。
 この年の敦賀気比はいわくつきのチームでもありました。後にプロに進む3選手を擁する(内海投手、李捕手は巨人。中澤遊撃手は中日へ)逸材の宝庫であり、1999年秋の北信越大会は圧倒的な強さで優勝してセンバツ出場をほぼ確実にしていながら、その後の不祥事で甲子園でも優勝候補と目されながらも出場辞退を余儀なくされてしまい、最後の夏にはなんとしても甲子園に出場するべく予選に挑んだはずでした。
 しかしシード出場の初戦、二回戦の対福井戦ではエース内海が打ち込まれて苦戦を強いられ、一点リードされた九回裏二死に李捕手の同点本塁打でようやく追いつくと、つづく延長十回にサヨナラ勝ちを収めてなんとか初戦突破に成功しましたが、圧倒的な強さを見せつけるというには程遠い内容でした。
 つづく準々決勝(福井県は高校の数が少ないので二回戦が終わるともう八校しか残ってないのです!)高志戦は大勝して、いよいよ本来の調子を取り戻しつつあるかというところで、ちょうど休日の土曜日と準決勝が重なったので超高校級左腕エース内海のピッチングを生で見るべく
一路、福井市へと車を走らせました。
 
市内に入り、途中の車内でカーラジオから流れてくる実況ではすでに試合がはじまっているようでした。相手は若狭高です。(元阪神の川藤の母校。かつては甲子園にも出場した古豪で、昭和44年夏の甲子園ではベスト4に進出するも、あの対三沢の延長18回引き分け再試合で優勝した松山商に敗れた。さらに松井秀喜(現ヤンキース)のいた時に地元小浜市に星稜高を招き、観客が鈴なりの同校グラウンドで見事(?)ホームランを打たれている経歴を持つ。)
 実況が伝えるところによると若狭のエース荻野は2年生ながらもしなやかなフォームで左腕から快速球を投げ込むなかなかの好投手のようです。強豪敦賀気比を相手に快投を演じているようで、実況アナが荻野投手を絶賛する声が若狭の守備の間は絶えることがありません。内海以外にもいい投手がいるものだと、高校数が少ないながらも福井県のレベルの高さに思わず感心してしまいました。
 そんなこんなでようやく球場に到着すると試合は終盤に入っていたようで、準決勝第二試合に登場する福井商の応援団がスタンバっていました。それを横目にスタンドへ駆け上がると噂のサウスポー内海が投げていました。やっとお目にかかれたと内心小躍りしながらベンチに座り、じっくり観察させてもらうことにしました。
 しかし、思ったよりボールのキレを欠いているように思われました。というのも相手の若狭のエース荻野があまりにも素晴らしかったからでもあります。荻野投手は剛速球ではなく手元でキュッと伸びるようなキレのいい球を実に小気味よくコーナーに投げ分けていました。おそらくストレートは時速130キロ前後だったと思いますがかなり打ちづらそうでした。
 一方の内海投手はスピードは荻野より出ているように見えますがそれでも時速140キロには届いていないだろうなという感じでした。本来ならばMaxで時速140キロを軽く超すといわれているので本調子ではなかったか、試合も終盤でいささかスタミナを欠いていたのでしょう。すこし残念な気分になってしまいましたが、カーブはもの凄く落差が大きかったのでこの辺りはさすがだなと思わされました。(昨年、東京ドームでの登板をテレビで見ましたが、相変わらずカーブは大きく曲がっていたようです。カーブの落差、キレなら球界屈指といえるのではないでしょうか。もっとも、カーブを投げる投手自体が最近では少ないですが)

 そして敦賀気比有利と思われた試合は初戦の福井戦同様よもやの展開で若狭リードのままついに九回を迎えてしまいました。しかし、ここでまたしても打線が奮起して同点に追いつき試合は延長戦に突入しました。私は内海の好調時のストレートが見たかったので試合が終わるのを待たずに球場を後にしました。試合は敦賀気比が辛くも勝ちを収めて決勝にコマを進めることが出来ました。 しかしあの夏、内海は結局本来のストレートの威力を取り戻すことが出来なかったではなかったのでしょうか。
 甲子園まであと一勝までこぎつけた翌日、山岸投手(現西武)擁する福井商との決勝戦では同点で迎えた延長十回表二死二塁で、ストレートを八球つづけた末に右中間を破る長打を浴びて勝ち越しを許し後一歩のところで甲子園を逃してしまったのです。

 幻の甲子園優勝候補の夏はこうして幕をとじましたが、エーズ左腕は卒業後、社会人野球の東京ガスに入り、ストレートは時速150キロを超すまでに成長しましたが、肩を痛めたままプロ入りして昨年途中にようやく肩は直ったものの現在は失われたストレートの威力復活に向けて奮闘しているはずです。今後の復調に期待しましょう。