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マネージャー日誌

2005年2月19日(土)
お知らせ
 リンクをトップページに貼りました。<超低位株を追え!>
魔球とは関係有りませんが、高利回り投資に興味のある方はまたご覧になってご意見いただければ幸いに存じます。
実際に物凄く利ざやが出た銘柄もあります。
2005年2月17日(木)
みなさんご存知でした?
 最近は完全にコラム化してしまったこのコーナーですが、本日も皆様に豆知識を一つ提供したいと思います。
 高校野球の桧舞台である甲子園。大会が始まるとアルプススタンドでは応援団が母校の選手に熱い声援を送っているおなじみの風景を連日、テレビなどで見ることが出来ます。そうした中でチアガールが応援風景に彩りを添える学校も今日では少なくありません。
 この甲子園のチアガールの元祖は昭和三十一年の夏の全国選手権に初出場を果たした滑川高校なのであります。
 高校野球不毛の地と言われながらも思わぬところで歴史を作っていたんですねぇ。
2005年2月16日(水)
北陸路の甲子園旋風児列伝
 野球不毛の地と呼ばれながらも北陸路の球児達が甲子園で大きな足跡を残してきた歴史はあります。厳しい風雪に耐える北陸人の真骨頂ともいえる粘り強さを発揮して強豪校を破った試合や、今なお語りつがれる名勝負を紹介していきたいと思います。(もはや日記ではないですねっ!)
 1986年選抜大会 富山・新湊高
 ”新湊旋風”というフレーズがメディアを賑わせたこの年の選抜。
秋の富山県大会三位ながら北信越大会に開催県枠で滑り込み出場を果たした新湊は決勝まで勝ち進み、松商学園に敗れるも初の選抜切符を手にした。このチームの売りはコントロールとキレで勝負するエース酒井と、雪や雨でぬかるんだグラウンドでもかまわずに行われる猛ノックで鍛え上げた鉄壁の守備陣である。

 そして乗り込んだ甲子園。一回戦は超高校級左腕、近藤真一を擁する愛知の享栄である。享栄有利との大方の予想と、折悪しく降り出した雨の中で試合は始まった。
 一回、いきなり試合が動き出した。ランナーを一塁に置いてエース酒井の右越三塁打で一点を先制したのである。試合は予想に反してて享栄が追う展開となった。新湊の一万人にも及ぶ大応援団の怒涛の声援と相まって甲子園は異様な雰囲気に包まれ試合は進む。
 享栄は再三、ランナーを進めるが、新湊はエース酒井の巧みな投球と、日頃からぬかるんだグラウンドで鍛えられていて、甲子園の雨などものともせずにボールに喰らい付く鉄壁の守備陣がことごとく内野ゴロ併殺でピンチを切り抜ける。
 中でもランナー一、三塁で内野ゴロ二塁ホースアウトの後、本塁に突っ込む走者を二塁上からのドンピシャのストライク送球でタッチアウトにした場面などは酒井の先制三塁打と並ぶこの試合のハイライトといえるであろう。
 結局試合はエース酒井と守備陣が最後まで踏ん張った新湊が虎の子の一点を死守して見事勝利を収め、続く拓大紅陵、京都西(現京都外大付属)も連破して富山県勢初の全国ベスト4にコマを進めた。準決勝ではエース酒井が力尽き、宇都宮南の強打に屈したが、この時の宇都宮南のエースが現プロ野球楽天の高村祐投手なのである。